昭和20年後半
昭和28年県知事からの許可証(認可証)
知事からの許可証(認可証)
墨で手書きされています。「温湯薬湯」の記載がありますね。
木製で重さが約1キロあります。
大和町に位置する下関漁港は古くから巻き網漁船の水揚げ港として栄えていました。当店の前身である吉本漁業株式会社の漁業基地がここ大和町にあり、当時、当会社が船員さんの福利厚生施設として入浴施設が必要と考え、水源確保のためボーリングを試みたところ(温泉の)泉源を掘り当てました。当時、湧き出す水は温かく湯気がたちあがっていました。そこで湧き水の分析を依頼したところ温泉(ナトリウム‐塩化物冷鉱泉)であることが判明しました。
昭和30年前半
当時の写真
公衆浴場(銭湯)としての認可を受け正式に公衆浴場としてオープンしました。
昭和34年
当時の写真
銭湯を営むかたわら、割烹旅館及び小料理店をオープン
平成9年
当店所在地:大和町は大正後期から昭和初期にかけて埋め立てられ誕生しました
対岸は現在の彦島海士郷(明治初期の風景)
当店所在地の大和町は大正後期から昭和初期にかけて埋め立てられ誕生しました。(大正の「大」と昭和の「和」をとって大和町と命名されています。)
埋め立てられるまでは小門(おど)海峡と呼ばれ、急流で好漁場でした。海峡の中ほどには源平舟合戦の最中に、平家の侍が喉を潤したと言い伝えられてきた温かい湧き水の岩礁があり、近場の漁師も漁の合間にその湧き水を飲んでいたと言われています。
拡大
温泉の湧き水が湧出していたのはこの岩礁付近と思われます。
この辺りだけワカメが生えてなかったとのことです。
当店所在地 いまむかし
この岩礁の記された明治時代の地図に、埋め立てられた現在の地図を重ねると日乃出温泉の位置と岩礁がぴったりと一致します。
井戸を掘ったところが、偶然にもこの岩礁の真上のようです